尾張氏の名残 尾張旭の神社 (愛知県尾張旭市) 神社紹介

自治体名では唯一、「尾張」の名を冠する尾張旭市の神社を紹介します。

「 澁川神社 (しぶかわじんじゃ)」 尾張旭市印場元町
 尾張旭市の西端、印場駅のそばに位置する 澁川神社は、尾張氏が景行天皇の御代に創建したとても古い神社です。日本の神社を記録した古文書である延喜式神名帳にも記載されています。
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 「澁川(しぶかわ)」の名前の由来は、天武天皇の時代、尾張国山田郡だったこの地で神様への奉納米を作る土地となり、「斎場(いみにわ)」から印場に転化した地名と言われています。大嘗祭・新嘗祭のための斎忌斎田となったことが日本書紀には書かれています。
  澁川神社には、雨乞いの折、竜(八竜)が白い雲に乗ってかけ昇り大雨を降らせるとの伝承があります。(参考文献 「尾張旭の地名」)
 数年前、火事があり、社が建て直されました。
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「直会神社(なおらいじんじゃ)」
 大嘗会悠紀斎田を澁川神社で行ったとき、直会を行うために創建された神社です。「なおる」との語呂から、はれものや吹出物に効果があると言われています。
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「多度神社」 尾張旭市新居町
 三重県の多度大社から勧請した神社です。祭神は天照大神様とそのお子の天津彦根命(あまつひこねのみこと)です。天津彦根命様は雨乞いの神として有名です。
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「愛宕神社(あたごじんじゃ)」
 退養寺の境内北側に愛宕神社あります。京都の愛宕山の愛宕神社からご神体を勧請し分祀された神社です。ご神体は、白馬に乗った地蔵であると伝えられています。
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・水野又太郎良春の墓
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 愛宕神社の横には水野又太郎良春のお墓があります。水野又太郎良春は、西暦1361年に志多味(名古屋市守山区)から移り住み、新居村(現在の尾張旭市新居町)を開きました。良春は多度神社や愛宕神社、退養寺などを建立しました。
 良春は僧将として活躍し、修験道を起源とする棒の手を伝えました。棒の手の「無二」の名は僧将のころの名です。棒の手は、伝統芸能として受け継がれ、お祭りなどで奉納されています。
 
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・弘法大師
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 退養寺の北東に大きな弘法大師像があります。昭和6年に約9.5メートルの厄除大師(尾張三大弘法第三番)として建てられました。
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「一之御前神社」
 熱田神宮の奥の社と同じ名の神社です。水野又太郎良春の子孫である毛受勝助家照の氏神と言われています。毛受勝助家照は織田信長の武将柴田勝家に仕え、最期賤ヶ岳の戦いで主君勝家の身代わりとして生涯を閉じた武将です。
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「八幡神社」 尾張旭市瀬戸川町
 八幡神社は西暦1300年代にこの地の城主浅井氏が創建したと伝えられています。御祭神は、応神天皇で、武神であるとともに、安産の神様としても知られています。
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「本地ヶ原神社」 尾張旭市南新町
 尾張旭市の中心を流れる矢田川南で、通称瀬港線より一つ北側の東西通りに本地ヶ原神社があります。この地は明治時代後陸軍演習場や飛行場があり、戦後は開拓地として発展しました。
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「白清龍神社」
 尾張旭市の南端にある新池で祀られる龍神の神社です。
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